JFKA/日本フリースタイル・カヤック協会公式ブログ

1990年に設立されたJFKA/日本フリースタイル・カヤック協会の公式ブログです。 フリースタイル・カヤック競技の大会主催・運営の他、2007年まで世界選手権、ワールドカップ等へ日本代表チームを派遣していました。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

日本のフリースタイル・カヤック競技の20年

■日本のフリースタイル・カヤック20年の歴史-1991年■

第3回:開催が危ぶまれた第1回全日本選手権

フリースタイル・カヤックの可能性を感じた大会

前年のCJカップ開催、それに続くWRAJ/日本ホワイトウォーター・ロデオ協会の設立から1年後、
「第2回CJカップ&第1回全日本選手権」の開催を決定しましたが、問題は開催場所でした。
前回大会の会場となった「タチタチの瀬」ではふさわしくないと考え、新しい会場探しに奔走しました。
また各地のパドラーに問い合わせるなどして検討を重ねていたところ、1軒のカヌーショツプから電話がありました。
「富士川にいいスポットがありますよ」と。
電話をくれたのは静岡のカヌーショップ「ロブソンランチ」さんでした。
後日、早速会場に視察に行きました。
予想以上に広い川幅の中にバックウォツシュの強いウェーブのポイントが3箇所ほどありました。
右岸からのエントリーは厳しいが、左岸には大きなエディもありエントリーもしやすい。
他にこれといった開催場所の候補が挙がらなかったこともあり、富士川での開催を決定したのでした。

1991年9月28~29日。記念すべき「ホワイトウォーター・ロデオ第1回全日本選手権」が開催されました。
参加者は43名。
エントリーはプレイボート部門18名、スクォート部門9名、オープンカヌー部門5名、新設したインフレータブル・カヤツク部門3名というものでした。
上記の日本人選手に加え、海外からはそうそうたるパドラーが参戦しました。
同年の7月にイギリスのジャスティニアン岬で3日間、開催された事実上の第1回世界選手権である
「ファースト・カヤック・ロデオ・チャンピオンシツプス」の1位のヤン・ケルナー(ゴールドウイン招待)、3位のクリス・スペリアス(サンデプラニング招待)、5位のロブ・マクドナー(モンベル招待)、そしてスクォート界の女帝リサ・シモダ・キャラウェイ(カヌージャーナル招待)、エド・ローパー(高階救命器具招待)の5名でした。
参加者の増加、加えて海外選手5名が参戦ということで、大きな盛り上がりを見せました。
またTBSテレビのニュース番組が取材にきたことも盛り上がりに拍車をかけました。

ところが大会開催前日の9月27日、台風第19号が日本海を通過。
中心気圧:925 hPa、最大風速:50m/h という大型の台風は富士川の水量を大幅に増やしていました。
28日、会場を見てみると川の色は茶色でまさに濁流・激流そのもので、とても大会を開催できる状況でないことは明らか。
練習を見ていても、個々の技術の問題はさておき、ロールで起き上がれないでいたずにら流されていく選手が続出。
スポットの下流100mには急に川幅が狭くなる「釜の口」というデンジェラス・ゾーンが待ち構えている。
レスキューもままならず、釜の口に吸い込まれていくパドラー。
事故こそなかったものの、その夜は全選手が一同に集まり緊急ミーテイングを行うこととなりました。
もちろん海外の選手も全員参加。
ミーティングでは様々な意見が飛び交いました。
「大会を中止するべきだ」「技術に自信のないものは参加を辞退したほうがよい」「明日の朝の状況を見て判断しよう」etc。
喧々諤々の話し合いは2時間近くに及び、意見の対立する選手の間は険悪なムードに…。
話し合いはひとつにまとまることはありませんでしたが、主催者として結論を出す必要がありました。
「今日の状況では開催はとても難しいものですが、明日の朝○時の時点で水量等を見て開催または中止の判断をすることにします」との説明に選手はとりあえず納得、解散となりました。
しかし、どうするべきだろうか?と眠れない夜を過ごしました。



ヤンとクリスxxx
ヤン・ケルナーとクリス・スペリアス

ポブ・マクドナーxxx
ロバート・マクドナー

エドワード・ローパーxxx
エドワード・ローパー

エドxx
エドワード・ローパー

リサxxx
リサ・シモダ・キャラウェイ

ヤンxxx

ヤン2xxx
↑ヤン・ケルナー

クリスxxx

クリス4xxx
↑クリス・スペリアス

不明xxx

日本人xxx

エンダーxxx
↑日本人パドラー

オープンxxx

インフレxxx

トップパドラー達のビッグウォータ-・チャレンジ

翌日29日。空には青空が広がり快晴でした。天気だけを見れば絶好のカヌー日和なのですが。
会場の様子は見ると、前日に引き続き水の色は茶色でしたが、水量はかなり減っていました。
しかし川の状況をひとことで表現すれば"ビッグウォーター"という言葉にしか該当しない状況。
多くの選手にとってはかなり困難な状況であることは判断できましたが、"これならできる"という選手達の声もあり、運営スタッフとも相談して開催することを決定しました。
競技は前大会の反省も踏まえ、すべての部門において競技時間を1分に短縮。
プレイボート部門は予選は3トライアルの合計得点により上位10人が決勝進出。
決勝は2トライアル。予選3+決勝2の合計得点で順位を決定。
オープンカヌー部門とインフレータブル・カヤック部門に関してはレスキューの問題を考え1トライアルに変更。
スクォート部門は2トライアルの合計という形で実施。
採点に関しても前回の最高5点から1点刻みの最高10点に変更。ジャッジは5人。

競技がスタート。
広い川にはスポットが5つほど。うち2つは大きなウェーブホールになっていた。
選手にとってはどのスポットにアプローチしていいものか判断が難しいところだか、とりあえず選手達は一番近いウェーブホールに飛び込んでいく。
しかし流れも水量も水圧も半端ではない。
入っていきなりロールを強いられる。起き上がった時には既に流されているというパターンにはまってしまう。
ポイントはいかにウェーブに残るかだが、サーフィンの状態で残っても、そこから次のムーブを行うのには大きなリスクが伴う。
といっても当時はサーフィンとエンダーしかないのですが…。
結局、成績の上位に来た選手はウェーブの中で1分間、サーフィンを行う。
またはパドル・トリックをプラスするというものでした。
今の時代の競技から考えるとのんびりしているようですが、選手達にとってはそれしか策がなかったということです。

競技にはカヌースクールでイントラクターを務める選手や経験豊富なエキスパート、現役の大学生スラローマーなど日本のトツプパドラーが集結。
第1回大会で活躍した石川、大沢、岡崎といった選手はもちろん、アオキカヌーの青木勇氏、サンデプラニングの吉原宣克氏なども参戦しました。
また女子選手も1人、男子に混じって参戦しました。
結果は日本人の1位、2位は現役の学生スラローマーとなりました。

多くの日本人選手が攻略に苦戦する中、海外選手達はビッグウォーターを楽しんでいたようです。
本来スクォートが専門のリサ・シモダ・キャラウェイも小柄で華奢な体に似合わず、パワフルかつ繊細なライディングを披露。
そのプレイには驚きの声があがっていました。
その後、日本での常連となるロブ・マクドナーも安定感のある堅実なライディングを見せてくれました。
OC-1が本職のエド・ローパーも持てる力を存分に発揮してくれました。
特筆すべきは、先の世界選手権1位のヤン・ケルナーと2位のクリス・スペリアスの壮絶な戦いでした。
互いに相手を意識しているようで、1トライアル毎に双方が火花を散らすライディングを繰り広げました。
特に決勝ラウンドでライディング終了後にクリス・スペリアスが怖い形相で「見たか!」とばかりに、ジャッジに向かって指をさしたときはジャッジ一同、その真剣さと迫力に圧倒されました。
まあそれまでの採点でヤン・ケルナーに負けていただけに、快心のライディングをしたクリスの気持ちも分かるというものです。
190cmもの巨体に裏付けされたパワーで豪快にカヤックを操るクリスに対し、華麗なパドリングとカヤック・コントロールで大胆にライデテングするヤン。
二人の対決はこの日、一番の見ものでした。
選手、ギャラリー、そしてジャッジのすべてが、この日、ビッグウォーターに立ち向かう海外パドラーのスキルの高さとフリースタイル・カヤックの限りない可能性を見たことと思います。


SQTxxxx


スクォートは会場を変えて、ほとんど流れのないポイントで行われました。
前回大会から僅か1年しか経過していないのに、日本のスクォーティストは確実に増えていました。
さすがにトップ3には得点で及ばないもの、ビデオやテキストで勉強してきた成果を十分に発揮しました。
ロブとリサの滑らかなスクォーティングはまるで舞踏会のダンスのような印象を受けました。
プレイボートと異なり、スクォートの時はギャラリーもとても静かでした。


■全日本選手権に出場-早川正志

日本で行われたフリースタイルカヤックの第2回大会は、静岡県の富士川で開催されました。
当日は大雨による増水で、普通の人が見たら、こんな日に川へ出るのは正気の沙汰でないと思われるような増水であったと記憶しています。
事実、会場場所から下流に流された人は、かなりの距離を泳ぎレスキューされました。
また下流の淵は強烈な渦を形成しており、そこを身ひとつで流されることを想像すると、生きた心地はしませんでした。
しかしこのような状況下で、外国からの招待選手は生き生きとプレイしていました。
強烈なウェーブホールが発生している場所で、スピン、エンダー、パドルトリックをガンガンキメてきます。
パドルを放り出してのプレイなど、見ている者をハラハラさせ、会場の盛り上がりは最高潮に達しています。
フリースタイルカヤックの大会はプレイボート部門とスクォート部門に分かれており、私はプレイボート部門にも参加しましたが、スクォートに賭ける比重が大きく、散々たる結果だったと記憶しています。
記念すべき第1回大会は、カヤックの共通の友人の結婚式と重なってしまったために、東海地区のスクォート・メンバーは参加しておらず、この第2回大会が実質上、私たちにとっては初の大会出場となります。
私たちと言ったのは、このスクォート好きなメンバーのスリルシーカーズ(ジムさん命名)は日本で一番上手いスクォート乗りにしようと日々努力し、楽しくそしてスリルを求めてきたメンバーの、今までの成果を見せる場所であったからです。
大会場所は激流では危険であり技が成立しないため、比較的易しいエディとプールで行われました。
と言っても水は濁っており、どこが深いのか浅いのか全くわからない状況でした。
プレイボート部門に比べスクォート部門はエントリーも少なく技の派手さがないため、お世辞にも盛り上がったとは言いがたい状況だったと記憶しています。
しかし、私のプレシャーはかなりのものでした。スリルシーカーズを日本一にするべく頑張ってきた、この成果を僅か数秒に出さなくてはなりません。
結果的にはバタバタしたものの、その頃大技だったカートウィールをキメて、PFDに雪が降り積もる日もスクォート練習を行ってきた私たちの努力は報われました。
今思えば、こんなに緊張したスクォートは、先にも後にもこの富士川大会だけではないでしょうか。
海外大会で出会うスクォート乗りは、ジムさんの教えである「Have Fun」を忘れず、お互いを尊重しています。
競技としてとらえれば仕方ないことかもしれませんが、スリルシーカーズはこの大会を機に、さらにスクォート技術の向上へと向かっていくことになりました。

私が始めてカヤックのフリースタイルを知ったのは、名古屋のとあるアウトドアショップのビデオで流れていた「ブラストイントーザサードディメンション」でした。
このビデオは、スクォートを開発したメンバーの一人、ジェシィーウィットモアさんとかが出ていたと記憶しています。P社のセイバーというスラ艇ともスクォート艇ともいえる長い薄いボートで、スターンスクォートで延々とクルクル回っていて、あぁこんな技がカヤックでできるんだーと思い、是非自分もやりたいと強く思ったものでした。
しかし、このショップのセイバーを借りてカヤックスクールに参加してみると、狭いコックピットやグラグラ感に、「あぁオレにはこんなボートは無理だ」と感じ、結局あの頃の定番ボートであるダンサーを購入したのでした。
あの頃のカヤック全盛期は、のんびりゆったりツーリング、川旅なんかも流行っていて、それなりに楽しかったのですが、ちょっとした瀬のウェーブなんかでサーフィンをしたり落ち込みでバウを指してエンダーごっこをしたりしているうちに、また沸々とフリースタイル魂が湧き上がり、フリースタイルカヤックを是非したいという気持ちが高まったことを記憶しています。
当時私は会員数300名を誇るカヤックのサークルに所属しており、その中でもこのフリースタイルカヤックが好きなメンバーが数人いて、木曽川の富士の瀬ウェーブでプレイボートで遊んでいましたが、同じ考えのメンバーが数人いて、ある時「何かキラキラのラメ入りのスゲーボートがあるぞ。
バウとかスターンとか簡単にエンダーできるらしいぜ。
しかもミステリームーブとかわけわかんねぇ技もあるらしい。」という情報を聞きつけ、皆でスクォートのビデオ「ファンフォーエバー」を見たとき、アタマはガンガンし「まさにこれだー、オレがしたかったのはこれなんだー」とまたまた強烈な印象を受けたのでした。

早川政志:マーシーの愛称で呼ばれ、プレイボートとスクォートの二つの部門で活躍。
プレイボート部門の全日本選手権優勝2回、年間総合優勝3回、通産勝利数11勝。
スクォート部門の全日本選手権優勝6回、通産勝利数9勝。
世界選手権出場5回。


エントリーxx

バナーxxx

当初は開催が危ぶまれた「第1回全日本選手権」も無事、終了しました。
個人的には大きな感動と達成感を心に満たした大会でした。

帰路、リサ・シモダ、ロブ・マクドナー、エド・ローパーと会食をしました。
その時に「将来的に日本で世界選手権が開催できるだろうか?」と訪ねました。
ロブは「今大会はいいオーガナイズだった。日本で世界選手権を開催するにはまだ時間がかかるだろうが、将来的には確実にできるよ」、リサは「来年はアメリカで行われるから、その次に立候補すればいい。協力するわ」といってくれました。
また合わせて「来年の世界選手権に日本チームを作って参加しなさい」ともいってくれました。

翌1992年、第2回全日本選手権を木曽川で開催、そしてアメリカのオコーイ・リバーで開催された「第2回世界選手権」に日本代表チームが参戦することになるのですが…。


■第2回カヌージャーナル杯&第1回全日本選手権リザルト

●プレイボート部門
①ヤン・ケルナー
②クリス・スペリアス
③ロブ・マクドナー
④エド・ローパー
⑤山本真介
⑥後藤友彦

●オープンカヌー部門
①エド・ローパー
②森下洋行
③佐藤憲一

●インフレータブル・カヤック部門
①柴田 等
②山西雅彦
③吉原信忠

●スクォート部門
①ロブ・マクドナー
②リサ・シモダ・キャラウェイ
③ヤン・ケルナー
④早川政志
⑤岡 英樹
⑥市橋博明

■「ファースト・カヤック・ロデオ・チャンピオンシップス」大会概要

6カ国22人が参加。
潮の干満により海上にウェーブが発生する会場で、1.ホール(ストッパー)ライディング、2.サーフィン、3.スプリント、4.スキルテスト、5.スクォーティングの5部門で競い、合計により総合優勝を決める方式で行われた。
公平を期すために、5つの部門でそれぞれ異なるカヤックが使用された。
1.パーセブション・コルシカ、2.ピラニア・スタントバット、3.エース・ファルーシオン、4.プリヨン・インベーダー、5.OLS・エニグマ
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

トラックバックURLはこちら
http://jfka.blog59.fc2.com/tb.php/201-fed5f8da
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

FC2Ad

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。